こんばんは。
日本語が間違っているかもしれませんがGWに興味がありません地主です。
GWというのはある期間を言い表す言葉で、それを興味の対象としてとらえる事が果たして正しいのかはわからないのですが、「興味がない」という言葉がしっくりきます。
今働いている職場ではGWが繁忙期となっているためいつもより少し多めに出勤するくらいで、それ以外は普段となんら変わりはありません。
ただ今週は、その繁忙期の前ということもあってか暇になり、仕方ないので自宅でゆっくり過ごしていました。
先月購入したポンコツのミニカはディーラーで点検してもらったところ、あらゆる消耗品が劣化しており、各種ベルト、ホース類、パッキン、ブレーキ関係、足回り、マフラーなどなど、それらをすべて整備するということになると、もう一台、より新しくて程度のいい軽自動車を買える金額になったため、結局車検を通せずに今家の前に車検切れで動かせない車が2台とまっています。
自分は一体何がしたいのでしょうか?
そんなわけで今は暇になると身動きがとれないため嫌でも自宅でゆっくり過ごすしかないのですが、「自宅でゆっくり過ごす」という行為が自分はあまり好きではありません。
忙しく働いて帰ってきた後に寝る前のひとときをゆっくり過ごす、というのは嫌いではないのですが、丸一日家にいるというのはどうにも気分が滅入ります。
家にじっとしていると、こうしている今もゆっくりと着実に自分が歳をとっている、ということが意識から離れなくなってしまいます。
普段ならこんな時は車があれば、ちょいと富津岬まで意味もなくドライブに行ったり、東金の土地に草刈りや雑木の剪定や焚き火をしに出かけたりできるのですが、今はそれもできなくなってしまった。
草刈りをしたり焚き火をしたりといった行為は、何の生産性もないため現代の感覚ではほとんど何も価値のない行為ということになるのだと思います。
しかしそれらのことは普段の日常の活動、車や電車で移動して仕事に行きパソコンの前に座っていろいろな処理をしたりして椅子にすわってご飯をたべてアスファルトやコンクリートの平坦な道を歩いて移動するというような事たちとは切り離されて存在しており、
でこぼこで柔らかい土の上を歩き虫の羽音や鳥の鳴き声がして生木を燃やすにおいがして倒れた木を運んだり土を掘ったりムカデを見つけてつぶして殺したりといった、いちいちの行為が普段行っていることとは全く別の感覚や筋肉や思考回路を使う事になるため、それらのことが労力を使うことではあるのだけれど、普段の活動において不足しているものをそこで補っているのだとも思います。
電話の受付をしているとよくクレームの問い合わせの中に、「おたくの商品に問題があったせいで、これこれこういう時間と労力がかかった、それらのことをどうしてくれるのか?」というふうに言われることが少なからずあります。
もちろん自分も一応はちゃんと働いて社会参加もしているのでそういった感覚がわからないわけではありません。
他人から迷惑をかけられたり待たされたりすれば腹が立つこともあるし、時間や労力に対して対価が発生するというのも仕事をしたり会社を経営したりしていればそう考えるのが普通だと思います。
しかしそういった主張を当然のようにしている人たちというのは、その発想そのものがとても貧しいものであるということに気づけていないのだろうとも思います。
そういった貧しい約束事からも一時的にではあっても分断されることが、自分が東金の土地でいろいろな作業をしている理由のひとつなのだと思います。
そんなわけで今東金の土地では、周辺の松枯れ病で倒れてしまった松の木を一緒に片付けてくれる人を募集しています。
誰か東金の土地まで一緒に車に乗せていってもらえませんか?
土地を持っているのですが、自力でそこまでたどり着けません。
自分は一体何がし(略
また来週。
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