2012年5月28日月曜日

内壁仕上げ完了

こんばんは。

Facebookでくだらないことをつぶやきすぎて武露愚の最初のあいさつで書くネタが無くなってしまっている地主です。

自分が武露愚を書くときのパターンは、

①まず最初にくだらないネタであいさつをする。こんばんは。○○○な地主です。という感じ。

②次に土地の作業報告など。

③そして最後に、よりくだらないネタorまじめな話で締めくくる。
というのがいつもの流れなのですが、最近調子に乗ってFbでしょうもないネタを連発してしまい、①で書くことがなくなって、そのせいで武露愚を更新できない!(深刻)

はい、更新が遅れた言い訳ですね。

もうFbとTwitterは人のを見るだけにしてつぶやき禁止。武露愚に集中します。

さて、



土地の作業の方は、やっと内壁の仕上げ作業が完了しました。

周りからも「ちょっと教会っぽくなってきた」と好評をいただいております。

なんという適当なリアクションなのでしょう。



次はとうとう屋根に、と進みたいところなのですが、まだ少し細かい作業が残っています。

これは四隅の角にレンガをきれいに積み上げるためのジグを作っているところ。

ブロックを積み上げて壁を作った時に少し全体が傾いたりよじれたりしているため、このジグを使って垂直にきれいにレンガを積んで傾きを修正します。


ジグを使って角のレンガを積み上げているところ。

もうしばらくはセメント作業が続く予定です。


さて、話は変わりますが、先日Twitter上で自分がフォローしている方同士が原発の再稼動について議論をされていたので、そのことについて自分も今の考えをここで書いておこうと思います。

Twitterやニュースでは、今年の夏の電力消費がピークの時に電力が足りず大停電を起こす危険性や、火力発電の燃料代がかさむことによる経済的損失、あるいは将来的には原発を無くすべきだがダメージを最小限に抑えるために段階的に原発依存を減らしていくべき、というようなことも言われているようです。

原発依存から合理的に抜け出すために今原発を再稼動させるという考えもあるのかもしれません。

しかし、原発は核廃棄物の話をぬきにすれば他の発電方法に比べるとコストが安く済むので期限付きで稼動させる、ということになったとしても、今はどの業界も経済的に厳しい状況のようだし、今までと同じペースの電力消費が始まってしまえば次に原発を止めるタイミングなんて無いと思います。

もし止めるタイミングがあるのだとすれば、それは次にくる大きい地震かテロなどで大惨事が起こった時になるのではないかと思います。

一部の原子力の専門的な知識を持っている人は、その危険性や合理性を理解した上で冷静な判断をしようとしているのかもしれません。

しかし今回の原発の事故で問われているのは、合理性の問題の前に、方向性の問題なのではないかと自分は思っています。

去年の地震が起こる以前、「世の中が崩壊(変化)する」というのはどういうことなのかと考えていたとき、自分のイメージでは、「今の世の中の流れの中にいても自分は幸せにはなれない」ということを、ある一定以上の人が、それがいいか悪いかは別として、そう思うようになってしまった時に、世の中はそれまでの仕組みではうまく回らなくなってしまって、崩れて変化していくのではないか、と漠然と思っていました。

そして今回の地震と原発の事故で自分たちの状況を立ち止まって考えることを余儀なくされたため、自分のようなドロップアウトしている人間だけでなく、社会の只中にいる人たちも同じようなことを考えるようになるのではないかと思いました。

けれども世の中にはやはりいろいろな考えや立場の人がいるようで、単純にそうなるわけではないのかもしれません。

なかなかうまく考えをまとめてここで書くことができないのですが、自分個人の考えとしては、これ以上一体何を電気で動かして便利にする必要があるのか、という疑問が常に付きまとっています。

江戸時代には原発はおろか、電気そのものが存在しなかったのだろうけれど、その時代を生きていた人が全員不幸だったとは思わないし、個人的な好みでいえば、実際の生活での利便性は1970年代くらいのレベル+インターネットがあれば十分なんじゃないかと思っています。

むしろそれくらいの不便さがある方が、実際の生活の隅々に、生らしいというか、豊かな質感が感じられるのではないかとも思います。

ここまでは個人的な好みの問題ですが、それを置いても、今必要とされる電力をいかにして確保するかを考えるより、今あるものの中で本当に必要なものは何なのかを考えることの方がより重要で、前向きに考えることができ、自分たち自身の生活に直接影響してくるのではないかと思っています。

原発の危険性に関しては、自分は専門的な知識があるわけではないですが、今後原発を運用していく上での安全性を技術的にクリアできる可能性があるのだとしても、事故が起こったときに一発アウトとなる危険性のあるものは使うべきではないと思います。

去年の地震で福島の原発が制御できなくなりかけてパニックだった時に、東電の人たちが政府に全面撤退を申し入れていましたが、無責任でひどいことだとは思いますが、人間というのは常にそういうものなのではないかとも思います。

どれだけ技術が進歩しても、それを使うのが不完全な人間である以上、事故の可能性は否定できないと思います。

もし次の大きな地震で、日本の国土が広い範囲で高濃度に汚染されて人が住めないような状態になってしまったとしたら、自分たちは汚染の被害が少ない地域に非難して、経済的にも破綻しているであろう日本の中で細々と暮らすか、あるいはかつてのユダヤ人たちのようによその国に移住して肩身の狭い思いをしながら暮らさなければならなくなるかもしれません。

そうなるよりは、今ある原発をすべて無くした状態で、経済的にも縮小していくのであるとしても、その中でよりよい生活のあり方を模索していくべきだと思います。

そういった理由から、原発の再稼動には反対、というのが今の自分の考えです。



と、ここまで書いておきながらなのだけれど、つくづく自分は、人間や世の中がどうあるべき、というようなことを書くのが苦手だなと思う。

自分の自由を邪魔されることが嫌いなので、他人や社会に対してこうあるべきだ、というふうに強く言うことができないずるさみたいなものがあるのかもしれないし、

いくら他人や世の中や環境に対して変わって欲しいと思ったところで、結局は自力で変えることが出来るのは自分自身の事でしかないように思っているのかもしれない。

自分自身の手の届く範囲のことであれば、ある程度はちゃんと感覚がいきわたるので、しっくりくる手ごたえみたいなものがあるけれど、社会や人間のあり方といった、個人の領域を超えてしまっているもののことを一人で考えこんで書いてみても、どこまでが自分の考えなのか、本当に自分ではそう思っているのか、というようなことが曖昧になってきてしまう。

なんだか本当にまとまりのない文になってしまったけれど、今回はここで終わり。

これからしばらくはレンガ積みの作業の予定です。。


土地は虫が増えて雑草も生い茂ってきている。アーモンドの木はたくさん実をつけるようになってきた。

また来週。。









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